昭和17年12月 | 当社の前身である日本内燃機製造株式会社を設立。 資本金50万円。 鋳造、機械、修理の三工場を有しエンジン及び電機工事材料の製造を主として事業開始。 |
昭和19年 | 海軍監督工場に指定され従業員500余名を擁するエンジン製造工場となる。 |
昭和20年 | 戦災により鋳造工場を除く機械、修理の2工場を焼失。 戦後鋳造工場を主体として再建に着手し、企業再建整備法の適用を受けて日本内燃機製造株式会社も解散。 第2会社として株式会社大阪鋳工所を設立することの認可を大蔵大臣より受ける。 尚、第2会社設立に至る期間は日本内燃機製造株式会社として鋳造事業を継続。 |
昭和28年 3月 | 株式会社大阪鋳工所を設立。 資本金40万円。 初代社長 河野 進。 銑鉄鋳造、紡機部品の製造販売。 |
昭和33年11月 | 電機部門である協進電機製作所を併設。 配電盤取付金物、屋内外支持碍子、端末処理材料等の電機工事材料の製造販売を再開。 |
昭和37年 4月 | 事業拡充の為、資本金を200万円に増加。 |
昭和42年 4月 | 自己資本充実の為、資本金を400万円に増加。 |
昭和44年 3月 | 協進電機製作所、福岡営業所を開設。 九州地区の販売網を強化する。 |
昭和46年 4月 | 資本金を500万円に増加。 |
昭和52年 9月 | 第2代社長に 河野 征雄 就任。 福岡営業所を九州協進電機販売株式会社に譲渡する。 |
昭和60年 5月 | 不動産の経営業務を始める事を株主総会で議決。 |
昭和61年10月 | 福岡営業所を再開設。 |
平成 4年 4月 | 資本金を1000万円に増加。 |
平成 8年12月 | 株式会社三共電機工業所の営業権を取得。 |
平成14年 5月 | 商号を「協進電機株式会社」に変更。 |
平成19年 5月 | 第3代社長に 河野 重治 就任。 |
平成26年 6月 | 6月20日本社兼工場、新社屋竣工。同30日より営業開始。 |
令和 6年 7月 | 福岡営業所閉鎖。業務を大阪本社に集約する。 |